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愚問を発する人は、その一座の犠牲になるのを覚悟して、ぶざまの愚問を発し、恐悦(きょうえつ)がったりして見せているのである。
尊い犠牲心の発露なのである。

[ 出典 ]
太宰治[だざい・おさむ]
(明治〜昭和の作家、1909〜1948)
『散華』(さんげ)

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〈全文〉
愚問を連発する、とは言っても、その人が愚かしい人だから愚問を連発するというわけではない。
その人だって、自分の問いが、たいへん月並みで、ぶざまだという事は百も承知である。

質問というものは、たいてい愚問にきまっているものだし、また、先輩の家へ押しかけて行って、先輩を狼狽(ろうばい)赤面させるような賢明な鋭い質問をしてやろうと意気込んでいる奴は、それこそ本当の馬鹿か、気違いである。
気障(きざ)ったらしくて、見て居られないものである。
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愚問を発する人は、その一座の犠牲になるのを覚悟して、ぶざまの愚問を発し、恐悦(きょうえつ)がったりして見せているのである。
尊い犠牲心の発露なのである。
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