先祖たちが「輪廻」という考え方を受け入れたのは、ほかでもない、人間存在があまりにも不可解で不条理に満ちていたからではないだろうか。
いったい人はどこから生まれてきてどこへ去っていくのか、一切確実なことは分からない。 また卑近なことでいえば、たとえば、正直に一所懸命働いても、いつまでも貧困から免れることができないとか、あるいは、大悪人ほどこの世を栄耀栄華に生きるとか、人生には不条理があまりにも多すぎる。 阿満利麿[あま・としまろ]
(宗教学者、1939〜) 『法然を読む』 【 阿満利麿の名言 】
〈全文〉
先祖たちが「輪廻」という考え方を受け入れたのは、ほかでもない、人間存在があまりにも不可解で不条理に満ちていたからではないだろうか。 いったい人はどこから生まれてきてどこへ去っていくのか、一切確実なことは分からない。 また卑近なことでいえば、たとえば、正直に一所懸命働いても、いつまでも貧困から免れることができないとか、あるいは、大悪人ほどこの世を栄耀栄華に生きるとか、人生には不条理があまりにも多すぎる。 いったい、不条理に満ちたこの人生を、どのように納得すればよいのか。 こうした思いに対して、「輪廻」は一つの回答を与えてきたのではないか。 いかに荒唐無稽に見えようとも、「三世」や「輪廻」は、人間存在と人生の不条理や不可解さについての、一つの納得できる論理を提供してきたといえる。 つまり、「輪廻」の思想から学ぶべきは、そうした考え方を要請せねばならなかった人間存在の不安、人生の不条理という点なのであろう。 中世人は、「六道輪廻」といういわば神話、あるいは今風にいえば〈物語〉を媒介にして、人間のもつ根源的不安を克服したのである。
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