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従来の仏教では煩悩からの解放が目的であったが、善導や法然の浄土教では、煩悩のただなかにあって、しかも煩悩を超える道を提示したのである。
煩悩の否定や克服は問題ではないのだ。
文字通り「凡夫」のままで救われて行く道があるのである。

[ 出典 ]
阿満利麿[あま・としまろ]
(宗教学者、1939〜)
『法然を読む』

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〈全文〉
従来の仏教では「水火の難」という煩悩からの解放が目的であったが、善導や法然の浄土教では、煩悩のただなかにあって、しかも煩悩を超える道を提示したのである。
煩悩の否定や克服は問題ではないのだ。
文字通り「凡夫」のままで救われて行く道があるのである。
だからこそ、煩悩まみれの生活を恐れる必要がないという。
繰り返していえば、普通は宗教的信仰に生きる者は、煩悩から解放されているかのように考えられやすいが、善導や法然にあっては、煩悩のままで救われてゆくのである。


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