いのちを生きるものが共に一つ世界に手を取り合っていけるような、そういう世界を開かないかぎり、私の救いはない。
個人の救いは一切衆生の救いと別にあるのではない。 和田稠[わだ・しげし]
(真宗大谷派の僧侶、1916〜2006)
〈全文〉
いのちを生きるものが共に一つ世界に手を取り合っていけるような、そういう世界を開かないかぎり、私の救いはない。 個人の救いは一切衆生の救いと別にあるのではない。 __ Link __ 生徒が救われないのに先生だけが救われるということはない。 子供が救われないのに親だけが救われるということはないでしょう。 __ Link __ 本当の救いとは何か。 性質が違い、考え方が違い、生き方が違い、年齢が違い、学歴が違い、性別が違う。 その違った者同士がどこで一つ世界を共有するか。 こういうことが一番大事なんです。 __ Link __
1.
( 石川達三 )
2.
( ヨシフ・スターリン )
3.
( キケロ )
4.
( 荒川洋治 )
5.
( 漫画『スヌーピー』 )
6.
( 木村無相 )
7.
8.
( 山岡荘八 )
9.
( トム・ボールドウィン )
10.
( アーノルド・J・トインビー )
11.
( 寺山修司 )
12.
( 寺山修司 )
13.
( マールバラ公ジョン・チャーチル )
14.
( モンゴルのことわざ )
15.
( 竹中智秀 )
16.
( 松本晃 )
17.
( サミュエル・スマイルズ )
18.
( セネカ )
19.
我々が平和の名によって重んじているものは、実は短い休戦にすぎない。
それによって弱い側は、正しい主張であれ、不正な主張であれ、とにかくその主張をあきらめる。 武力によってその主張を生かす機会が来るまでは。
( ヴォーヴナルグ )
20.
( 加藤諦三 )
|